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ブログ05

ブログ05

日本国の祖霊(神々)と初代天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ニニギは、一般には瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と書かれる。
天照大神の子である天忍穂耳尊と、高木神の娘である栲幡千千姫命(萬幡豊秋津師比売命)の子。兄に天火明命(アメノホアカリ)がいる。日本書紀の一書では天火明命(アメノホアカリ)の子とする。
天照大神の命により、葦原中国を統治するため高天原から日向国の高千穂峰に降り(天孫降臨)、吾田国(現在の南さつま市)の長屋の笠狭碕に到達する。そこで大山祇神の娘である木花之開耶姫を娶り、ホデリ(海幸)・ホスセリ・ホオリ(山幸)を生んだ。ホオリの孫が神武天皇である。

神武天皇(じんむてんのう、紀元前711年2月13日 - 紀元前585年4月9日)は、日本の初代天皇。日本の神話上と思われる初代天皇。在位は神武天皇元年1月1日(紀元前660年2月11日) - 神武天皇76年3月11日。
天皇が即位した旧暦1月1日は、現在の暦では2月11日にあたり、日本国が建国した日として、第二次世界大戦に敗戦する前は紀元節、戦後は建国記念の日という祝日である。
『古事記』には神倭伊波礼琵古命とあり、『日本書紀』には神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)・始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)・若御毛沼命(わかみけぬのみこと)・狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)とも。

ヤコブ(英語:Jacob)は、旧約聖書の創世記に登場するヘブライ人の族長。別名をイスラエル (Israel) といい、イスラエルの民すなわちユダヤ人はみなヤコブの子孫を称する。
『創世記』によると、父はイサク(イツハク)、母はリベカ、祖父は太祖アブラハム。
ヤコブは兄エサウを出し抜いて長子の祝福を得たため、兄から命を狙われることになって逃亡する。逃亡の途上、天国に上る階段の夢(ジェイコブズ・ラダー〈Jacob's ladder〉という言葉の由来)を見て、自分の子孫が偉大な民族になるという神の約束を受ける。ハランにすむ伯父ラバンのもとに身を寄せ、やがて財産を築いて独立する。
兄エサウとの和解を志し、会いに行く途中、ヤボク川の渡し(後に彼がペヌエルと名付けた場所)で神と格闘したことから神の勝者を意味する「イスラエル」(「イシャラー(勝つ者)」「エル(神)」の複合名詞)の名を与えられる。これが後のイスラエルの国名の由来となった。
レア、ラケル、ビルハ、ジルパという4人の妻との間に娘と12人の息子をもうけた。その息子たちがイスラエル十二部族の祖となったとされている。 晩年、寵愛した息子のヨセフが行方不明になって悲嘆にくれるが、数奇な人生を送ってエジプトでファラオの宰相となっていたヨセフとの再会を遂げ、やがて一族をあげてエジプトに移住した。 エジプトで生涯を終えたヤコブは遺言によって故郷カナン地方のマクペラの畑の洞穴に葬られた。

ヤコブと神道のニニギ
アブラハムの家系図と神道のスサノオの家系図は酷似しているとされ、家系図比較によれば、聖書でのヤコブは神道ではニニギにあたる。ヤコブについては、ラケルを妻にめとる時にその姉レアもめとるよう要求されるという話があり、神道のニニギについても同じ話がある。

ヤコブの子ら
ヤコブは4人の妻を持ち、12人の息子と1人の娘がいた。
ラバンの娘レアの子 - ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、一人娘であるディナ
ラケルの下女ビルハの子 - ダン、ナフタリ
レアの下女ジルパの子 - ガド、アシェル
レアの妹ラケルの子 - ヨセフ、ベニヤミン
彼らがイスラエル12部族の祖となったといわれるが、話は少し複雑である。まず、レビ族は祭司の家系であって継承する土地を持たないので12部族には入らない。またヨセフ族はなく、ヨセフの息子エフライムとマナセを祖とするエフライム族、マナセ族が加わることで十二部族となっている。このうちユダ族とベニヤミン族、レビ族以外の10部族は北イスラエル王国滅亡後に歴史から姿を消し、「イスラエルの失われた10支族」(イスラエルの失われた10部族)と呼ばれることになる。

天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は、日本神話に登場する神。
天地創造に関わった五柱の別天津神(ことあまつかみ)の一柱。
古事記では、天地開闢の際に高天原に最初に出現した神であるとしている。その後高御産巣日神、神産巣日神が現れ、すぐに姿を隠したとしている。この三柱の神を造化三神といい、性別のない「独神」(ひとりがみ)という。

日本書紀の天御中主尊
日本書紀では本文には記述はなく、第一段で6つ書かれている一書のうちの第四の一書にのみ登場する。そこでは、まず国常立尊、次に国狭槌尊が表れたと書き、その次に「また、高天原においでになる神の名を天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)という」と書かれている。この記述からは、前に書かれた二神とどちらが先に現れたのかはわからない。なお、他の一書では、最初に現れた神は国常立尊(本文、第一、第四、第五)、可美葦牙彦舅尊(第二、第三)、天常立尊(第六)としている。

諸説
神名は、天(高天原)の中央に座する主宰神という意味である。宇宙の根源の神であり、宇宙そのものであるともされる。
古事記、日本書紀とも、その後の事績は全く書かれておらず、「中空神」とも言われる。記紀神話が形成される上で創造された観念的な神と考えられ、それには中国の天帝の思想が影響したものと考えられる[要出典]。
平田篤胤は禁書であったキリスト教関係の書籍を読み、その万物の創造神という観念の影響を強く受けた。そして『霊之御柱』において、この世界の姿が確定する天孫降臨以前の万物の創造を天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神の造化三神によるものとした。この三神は復古神道においては窮極神とされ、なかでも天御中主神は最高位に位置づけられている。

神社
神話に殆ど記述がなく、生活に直接かかわる神ではないため、長らく信仰の対象とはされてこなかった。中世以降になって、寺院や陰陽道などで祭られるようになった。現在、この神を祭る神社には、妙見社系と水天宮系の二系統がある。
妙見社系の端緒は、道教における天の中央の至高神(天皇大帝)信仰にある。北極星・北斗七星信仰、さらに仏教の妙見信仰(妙見菩薩・妙見さん)と習合され、平田篤胤が北斗七星の神とする教学を確立した。さらに、明治初期に大教院の祭神とされ、いくつかの神社が祭神を天之御中主神に改めた。千葉氏ゆかりの千葉神社、九戸氏ゆかりの九戸神社、埼玉県の秩父神社などは妙見信仰のつながりで天之御中主神を祀る妙見社である。妙見社は千葉県では宗教法人登録をしているものだけでも50社以上もある。全国の小祠は数知れない。
水天宮は、元は仏教の神・水天を祀るものであるが、神仏分離の際、水天の元となったヴァルナの神格が始源神であることから、記紀神話における始源神・天之御中主神に置き換えられたものである。

妙見菩薩(みょうけんぼさつ)は、仏教における信仰対象である天部の一つ。妙見尊星王(みょうけんそんしようおう)、北辰(ほくしん)妙見菩薩とも呼ばれる。
「菩薩」とは、本来サンスクリットの「ボーディ・サットヴァ」の漢音写「菩提薩た」から来た言葉で、「悟り(真理)を求める者」の意であり、十界では上位である四聖(仏・菩薩・声聞・縁覚)の一つだが、妙見菩薩は他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したものであることから、通常は大黒天や毘沙門天・弁才天と同じ天部に分類されている。

妙見菩薩の例
古代中国の思想では、北極星(北辰とも言う)は天帝(天皇大帝)と見なされた。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、妙見菩薩と称するようになった。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経には「我れ、北辰菩薩にして名づけて妙見という。今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんと欲す」とある。
妙見菩薩信仰には星宿信仰に道教、密教、陰陽道などの要素が混交しており、像容も一定していない。 他に甲冑を着けた武将形で玄武(亀と蛇の合体した想像上の動物で北方の守り神)に乗るもの、唐服を着て笏を持った陰陽道系の像など、さまざまな形がある。
日本で重要文化財に指定されている妙見菩薩の彫像は、読売新聞社所有(よみうりランド内聖地公園保管)の1体のみである。この像は、正安3年(1301)の銘があり、もと伊勢神宮外宮の妙見堂にあったものとされる。しかし、この像は甲冑を着け、右手に剣を持ち、頭髪を美豆良(みずら)に結った特殊な像容を示し、所伝とおり妙見菩薩と呼ぶべきかどうか若干疑問の残るものである。
また、中世においては千葉氏や九戸氏が妙見菩薩を一族の守り神としており、千葉氏の氏神とされる千葉市にある千葉神社では今日でも妙見菩薩と同一と見なされている天之御中主神を祭神としている。これは、明治維新の際の神仏分離令によって、「菩薩」を公然と祀れなくなってしまった為に採られた措置である。同様の経緯による神社化は、九戸氏の氏神とされている岩手県九戸郡にある九戸神社や大阪府の星田妙見宮の例など少なくはない。なお、千葉神社(当時の「千葉妙見宮」)は源頼朝や日蓮からも崇拝を受けており、この縁により妙見菩薩が日蓮宗の寺院に祀られることが多い。

タカミムスビは、日本神話の神。古事記では高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、日本書紀では高皇産霊神(タカミムスビノカミ)と書かれる。葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神(タカギノカミ)という名で登場する。神社の祭神としては高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)などとも書かれる。
天照大神の御子神・天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)が高皇産霊神(タカミムスビノカミ)の娘と結婚して生まれたのが天孫ニニギノミコトであるので、タカミムスビは天孫ニニギの外祖父に相当する。
古事記によれば、天地開闢の時、最初に天御中主神が現れ、その次に神皇産霊神(カミムスビノカミ)と共に高天原に出現したとされるのが高皇産霊神という神である。
天御中主神・神皇産霊神・高皇産霊神は、共に造化の三神とされ、いずれも性別のない神、かつ、人間界から姿を隠している「独神(ひとりがみ)」とされている。
※私が超人類369と自らを呼称せざるを得なくなったのは、この「人間界から姿を隠している「独神(ひとりがみ)」」の世界以上の世界としか、信頼関係を無くされてしまったからであったのかと納得できました。
この造化三神のうち、神皇産霊神・高皇産霊神は、その活動が皇室・朝廷に直接的に大いに関係していると考えられたため、神祇官八神として八神殿で祀られた。
タカミムスビは、日本書紀では、天地初発条一書第四に「又曰く~」という形式で登場しているに過ぎない神であり、その他では巻十五の顕宗紀において阿閇臣事代が任那に派遣され壱岐及び対馬に立ち寄った際に名前が登場する程度ではあるが、天孫降臨神話では天照大神より優位に立って天孫降臨を司令している伝が存在することから、この神が本来の皇祖神だとする説もある。また、延喜式祝詞・出雲国神賀詞には、「神王タカミムスビ」とされている。
神皇産霊神は出雲神話で、高皇産霊神は高天原神話で働くという。
天津国玉神の子である天稚彦(アメノワカヒコ)が、天孫降臨に先立って降ったが復命せず、問責の使者・雉(きぎし)の鳴女(なきめ)を射殺した。それが高皇産霊神の怒りに触れ、その矢を射返されて死んだという。
「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉で、神皇産霊神とともに「創造」を神格化した神であり、女神的要素を持つ神皇産霊神と対になって男女の「むすび」を象徴する神であるとも考えられる。
子に八意思兼神(ヤゴコロオモイカネノカミ)、萬幡豊秋津師比売命(ヨロズハタトヨアキツシヒメノミコト)がいる。

カミムスビ(カミムスヒ、カムムスビ)は、日本神話の神。古事記では神産巣日神、日本書紀では神皇産霊尊と書かれる。
天地開闢の時、天御中主神・高皇産霊神の次に高天原に出現し、造化の三神の一とされる。本来は性のない独神であるが、造化三神の中でこの神だけが女神であるともされる。また、先代旧事本紀においては、高皇産霊神の子であるとも言われる。
大国主が兄神らによって殺されたとき、大国主の母が神産巣日神に願い出、神皇産霊尊に遣わされた蚶貝姫と蛤貝姫の治療によって大己貴命は蘇生する。
古事記では、少彦名神は神産巣日神の子である。
「産霊」は生産・生成を意味する言葉で、高皇産霊神とともに「創造」を神格化した神であり、高皇産霊神と対になって男女の「むすび」を象徴する神でもあると考えられる。

オオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)は、日本神話に登場する神。別名 和多志大神、酒解神。オオヤマツミ自身についての記述はあまりなく、オオヤマツミの子と名乗る神が何度か登場する。
神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた。その後、野の神である鹿屋野比売神(カヤノヒメ、野椎神)との間に以下の四対八神の神を生んでいる。
天之狭土神・国之狭土神
天之狭霧神・国之狭霧神
天之闇戸神・国之闇戸神
大戸惑子神・大戸惑女神
その後、イザナギがカグツチを切り殺した時、カグツチの体から以下の山津見八神が生まれている。
正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)
淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)
奥山津見神(おくやまつみのかみ)
闇山津見神(くらやまつみのかみ)
志藝山津見神(しぎやまつみのかみ)
羽山津見神(はやまつみのかみ)
原山津見神(はらやまつみのかみ)
戸山津見神(とやまつみのかみ)
ヤマタノオロチ退治において、スサノオの妻となるクシナダヒメの父母、アシナヅチ・テナヅチ(足名椎命・手名椎命)はオオヤマツミの子と名乗っている。その後、スサノオの系譜において、オホヤマツミ神の娘であるカムオホイチヒメ(神大市比売神)との間に大年神とウカノミタマをもうけていると記している。また、クシナダヒメとの間の子、ヤシマジヌミは、オオヤマツミの娘のコノハナチルヒメ(木花知流姫)と結婚し、フハノモヂクヌスヌを生んでいる。フハノモヂクヌスヌの子孫が大国主である。
天孫降臨の後、ニニギはオオヤマツミの娘であるコノハナノサクヤビメと出逢い、オオヤマツミはコノハナノサクヤビメとその姉のイワナガヒメを差し出した。ニニギが容姿が醜いイワナガヒメだけを送り返すと、オオヤマツミはそれを怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げた。

解説
神名の「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意なので、「オオヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味となる。別名の和多志大神の「わた」は海の古語で、海の神を表す。すなわち、山、海の両方を司る神ということになる。また、コノハナノサクヤビメがホホデミを生んだことを喜んだオオヤマツミが、天甜酒(あめのたむざけ)を造り神々に供げたとの記述もあることから、酒造の神・酒解神ともされている。このほか、軍神、武神としても信仰されている。
大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)、梅宮大社(京都市右京区)のほか、全国の三島神社・大祇神社に祀られる。全国の三島神社・大祇神社の総本社が大山祇神社(愛媛県今治市大三島町)および三嶋大社(静岡県三島市)である。

オオヤマツミが登場する古書
伊予国風土記逸文
乎知の郡。御嶋。坐す神の御名は大山積の神、一名は和多志の大神なり。是の神は、難波の高津の宮に御宇しめしし天皇の御世に顕れましき。此神、百済の國より渡り来まして、 津の國の御嶋に坐しき。御嶋と謂うは、津の國の御嶋の名なり。
日本書紀
古事記
大山祇神社、三嶋大社社伝等


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